少し前にドイツ中部にあるケラーヴァルトという、ブナ森として著名な森に滞在していました。近くに 12世紀に建てられたゴシック建築の修道院で著名なハイナという小さな街があり、「必見のスポット」という友人夫婦の推薦で彼らとこの街を訪れました。

過去800年の間、この僧院には様々なことがあったようですが、一番大きな出来事は16世紀中ごろに当地の伯爵で「寛大」と謳われたフィリップ1世がこの修道院を教会関係の施設ではなく、周辺に住む貧民や病人のための救済施設財団としたことで, 現在では精神科病院となっています。近郊からは赤土が採れるのでしょうか、教会内の赤い色が印象的で独特な雰囲気がありました。

このハイナで生まれ育ったのがヨハン・ハインリッヒ・ヴィルヘルム・ティッシュバインという画家でして「カンパーニャのゲーテ」という有名なゲーテの肖像を描いた人物です。ティッシュバインという名前は知らなくても、このゲーテの肖像画をどこかで見たことがある方はきっと多いと思います。

オリジナルはフランクフルトのシュテーデルミュージアムにありますが、僧院内のティッシュバイン・コーナーにそのコピーが展示されていて、面白い解説がありました。絵をよく見ますと左足が長すぎ、さらに右足の靴が左足の靴のように見えます。この不自然な部分が指摘されたのは比較的最近の話で、ティッシュバインが慌てふためいてナポリを去り(借金取りに追われていたという説があります)、残った未完の絵をさほど絵心のない人間が仕上げたのがその原因だとされています。この説明を読まなければそんな些細なことにはおよそ気づかなかったはずです。
ハイナを訪れた翌日からはケラーヴァルトのブナ森を歩きました。散歩道は起伏があって歩きごたえがあり、ところどころに朽ちた樹や強風で倒れた樹などがあえて放置されたままで自然の淘汰を見ることができ、樹齢数百年と推定される巨大なオークもいくつかありました。ブナ森とはいうもののブナだけではありませんで、オークの他トウヒ、マツなどが集中的に生えているところがあり、またこれらの若樹が競うように密集して育っている箇所もありました。競合に勝った樹が存続することになるのでしょう。また樹だけではなく、ところどころにコゴメグサやナデシコの亜種が咲いており、地面には色鮮やかなものから巨大なものまでいろんなキノコがみられ、自然保護区域の森を堪能することができました。

・・・そして散歩道では初めて見る意外な標識がありました。

「おや、この先にある崖から羊が落ちてくるんだってよ!随分物騒な散歩道だな!」と横を歩いている家内に言いましたら、「何言ってんのよ!落書きだよ!いたずらだよ!マジでそんなこと言ってんの?落石注意の標識だよ!」(註:写真右がオリジナルの落石注意の標識です)と呆れ顔で言われ、「えっ?それにしてはよくできてるな・・・」と二度見したのですが、マジックで目や足をつけ加えたとか黒いテープが貼ったりされていればすぐにいたずらとわかりますが、どう見てもそうとは思えません。しかも森の外れに実際羊がいたのですから、なおさらです。いたずらもここまでくれば秀逸で『お見事!』と感心してしまいました。

ドイツにはケラーヴァルトを含め、5つのブナ森があり、いづれもユネスコの自然遺産に登録されています。次回はドイツ北東部にあるリューゲン島に赴いて海抜ゼロメートルのところにあるブナ森を見物したいと考えておりますが、『落羊注意』を凌ぐ標識に出くわすことはないでしょう・・・