風薫る5月のある週末に家内の一番年下の甥っ子(10才)の初聖体式に臨んできました。
小生にはカトリックはプロテスタントに比して式典がそもそも大がかりというイメージがあり、初聖体式というものが一体どのように行われるのか興味がありましたので、招かれるままに指定されたクルマで1時間ほどのところにある教会に向かいました。しかし教会はかなり小さく、初聖体の儀式に参加した子供は30人ほどだったのですが、家族のみならず親類友人一同が大勢おしかけたものですから教会に入ることができない人が続出し、小生も教会内で儀式の一部始終を見ることができずじまいでしたが、教会に入ることができなくても興味深いシーンをいくつか見ることができました。
まず式典が始まる前に教会の横にある小さな建物から正装した子供たちがゾロゾロ出てきて教会内へ行進。男女を問わず全員が白装束で大きなローソクを持つといういで立ちからして、この儀式は子供たちにとってえらく重要な一大イベントであることが実感できました。



そして約1時間ほどで式が終わり、教会前で子供たちの記念写真の撮影。
ここで気づいたのは随分国際的な雰囲気です。子供たちはインド系、アジア系、アフリカ系と随分カラフル。おまけに牧師がアフリカ系。これには少なからず驚きました。「ほほう…!」と感心していましたら、小生になついている別の甥っ子が「ボクの時の牧師はイタリア人だったよ。」と話しかけてきました。イタリア人牧師ならイタリア→ローマ→バチカンと連想するせいか違和感がありません。で、ふと日本の僧侶について考えてみたのですが、ドイツ人の真言宗僧侶にはお目にかかったことがありますがアラブ、アフリカ系の僧侶は見たことがありません。このあたりに小生がアフリカ系の牧師をみて驚いたことの伏線があるようです。「キリスト教が古くから布教活動を熱心に実践していることを考えれば、別に驚くことではないよ」とは家内のコメントですが、確かにそのとおりです。しかしこの街は人口4万人ほどのごく普通の街で、およそ国際色豊かなところとはいえません。当事者に聞きましたら、この街にはカトリック教徒が少なく、カトリックの教会が二つしかないので式典があると混むことになり、信者もバラエティに富むことになるという説明で何となく納得しました。
家内は家内で、自分の初聖体の儀式を思い起こしていたようです。昔はユニセックスの白装束ではなく、男の子はダークスーツにネクタイ、女の子は白いドレスと相場が決まっていたのですが、女の子の衣装がエスカレートして花嫁衣装的になっていく傾向を阻止するためにユニセックスの白装束となったとか…つまり白装束はいわば「うわべ」、「ユニホーム」的なもので女の子は下にドレスを着ていて、儀式が終われば白装束を脱いで『正装』となり、男の子はユニホームの下はワイシャツとネクタイで、終わればジャケットを着るということになります。家内の場合は甥っ子ですので証拠の写真はあるのですが、姪っ子ではありませんので女の子のドレス姿には気づきませんでした。おそらくファッションショーのような感じだったのではないかと思います。記念写真をよく見るとユニホームの裾の下からドレスがはみ出している女の子が結構いて、たしかに家内の説明が正しいことが判明しました。



小生が一大イベントの宗教的正装と感じた白装束が家内にとってはユニホームに過ぎず、小生の目に奇異に映ったアフリカ系牧師が、家内にとっては取るに足りない些細な事だということが判明し、異教徒の主観の脆弱さを痛感した次第です。