1月のある日の朝、庭の小さな池に氷が張ったのを見て家内が感嘆しまして、小生を大声で呼びました。池に氷が張るのは珍しいことではありませんので、「?」と首をかしげて見ていましたら、「氷の形を見てよ。まるで氷の太陽だ。すばらしい!初めて見た」と改めて感嘆の声を上げます。「そう言われればそう見えなくもないな・・・でもどのようにして氷がこのような形をとったのかの方に興味があるよ。真ん中の部分は濁っているがキミの言う太陽の光線の部分は透明だ」と思わず本音を漏らしましたら逆鱗に触れまして「もうこれだから理系の人間はイヤなんだ。すばらしさとか美しさを素直に感心できないんだ!どうやってできたかなんてどうでもいいんだ!」と叱られました。ご参考までに写真を添付しておきます。(氷の太陽を識別しやすいように右の写真を着色しました)
数日後、今度は庭ではなく森の中で、家内と小生の感受性の違いを改めて認識することになりました。きっかけは散歩中にみかけた『作品』です。ひとつは幹が切られたトウヒ(唐檜)の隙間に枝を挿したもので(写真左)、もうひとつはかなり朽ちたトウヒに薄く切った幹を差し込んだものです(同右)。小生が「誰が作ったのか知らないがどちらもすばらしい作品だ。適度の遊び心と抜群のセンスが相まって前衛芸術となっている」と感心していましたら、家内は「何だって?芸術が聞いて呆れるよ。こんなのただのいたずらじゃない。バカバカしい」と小生の芸術観を一蹴。「芸術は人間が作るもの。氷の太陽なんてのは芸術ではなくて自然の力が意図せず作りあげたもの」と反論しましたら、「違う。自然の力ではなくて宇宙の力だ」と主張し、話が俄然哲学的になって平行線を辿るだけでした。
かような感受性の根本的な違いを実感するたびに、いったいこの違いはどこから来るのか、考え込んでしまいますが、倦怠期にはまだ突入していないということで、とりあえずポジティブ思考に切り替えております。








