ピクトグラムといいますのは、言語に制約されずに理解できる標識の絵のことで、身近なものでは交通標識、あるいは安全や危険を示すものなどがあります。これらはその国だけしか通用しないものもあれば国際的に通じるものもあり、多種多様となってきています。たとえば温泉のマークなどは日本でだけしか通用しませんし、逆に禁煙のピクトグラムは万国共通といっていいでしょう。
さて、チューリヒでピクトグラムにまつわる面白い訴訟がありました。チューリヒでは市電の中でギターを爪弾きながら歌を歌い、乗客に金銭をせがむ輩が増えて市の交通局に苦情が多く寄せられるようになりました。これを禁止すべく市は市電の中で歌うことを禁止するピクトグラムを貼ったのです。
そのウラには、<1>どうやら歌って金銭をせびるのはスイス人ではなく外国の人間が主なようである、<2>ということはスイスで使われている言語を解するとは限らない、<3>したがってドイツ語、フランス語、イタリア語の文章でもって市電の車内で歌うことを禁止するのは意味がない、<4>とすれば禁煙と同じようにピクトグラムを作成して車内に貼ればよい。という経緯があったと推測されます。
そこで、大きなソンブレロをかぶり、ギターを斜に構えて口を開けている人間を描き、これに赤の斜線を入れて、市電の車内で歌うことの禁止を意味するピクトグラムを作成して市電の中に貼りだしました。ところがメキシコ大使館から、ピクトグラムはあきらかにメキシコ人を対象にしておりメキシコ人民に対する侮辱である、歌を歌って乗客に迷惑をかけるのはまるでメキシコ人だと決めつけている、当局は早急にこのピクトグラムを削除してメキシコ大使館に詫びを入れるべきだという厳重抗議が入りました。
確かに、ソンブレロはメキシコ人のトレードマークで、メキシコ大使館の抗議は正当です。小生の経験からいいまして、問題の市電の中の歌手はどちらかというと中近東系か東欧系の若い男が多く、ラテン系、それもメキシコ人と断定するのは不可能です。分が悪いとみた市当局は詫びを入れてこのピクトグラムを削除し、かわりにソンブレロをかぶらずギターを斜に構えて口を開けている人間のピクトグラムを作って貼り直したというのですが、これが甚だシマらないピクトグラムになってしまいました。この貼り直しに数百万円かかったというのですが、たかがソンブレロひとつで大きな税金の無駄遣いとなってしまったわけです。
無論、金銭を強制的にせびるというのは許せませんが、一概に車内でのナマ演奏を禁止するというのはどうかと思います。いつでしたか、パリの昼下がり、メトロの中で小さなアコーデオンを弾いている若者に偶然出くわしたのですが、金をせびるでも、こびるでもなし、ただひたすらに控えめな音量で即興演奏をしていて結構上手い。パリという街にアコーデオンは似合います。乗客もみんな演奏を楽しんでいて、微笑んでいる。「さすが!」と思わず感嘆の声をあげてしまいました。ひるがえって上記のチューリヒですが、イスラム系の音楽もラテン系音楽もチューリヒにはおよそマッチしません。スイスといえばアルプス、アルプスといえばヨーデルです。ならば、チューリヒの市電にギター片手のヨーデル歌手が登場し、金をせびらずに愛嬌をふりまいたら……やっぱりダメでしょうね。








