『すべては数字』というタイトルの本を入手しました。著者はヴォルフガング・ヘルト(Wolfgang Held)。ある月刊誌に連載されたものが加筆されて出版されたもので、副題として「1から31までの数字が私たちに語りかけること」と記されていています。序文の冒頭に 「太陽は一つ、両親は二人、食事は日に三度、一年には四季があり、指は手に五本というように人間は子供の時から多くのものに数字がからんでいることを認識する」とあり、さらに本文では各々の数字に、「1=万物全体の数字」、「2=疑念と緊張の間の数字」、「3=数字の女王」、「4=地球の数字」、「5=人間の数字」…といったごく短い描写があって、読者の関心を惹きます。「1」がとっつきにくいので「2」から読み始めましたが、これが面白いのです。
まずはじめに老子の教えとして、「問い:棒を見よ-端のひとつが陰で、他の端が陽である。どちらが重要か?答え:棒が重要なのである」と記されています。その次に「1」を点で表わすと「2」は二つの点を結ぶ線で、線は平面を二分するということで「2」が出てきます。さらに読み続けますと、「光ははたして波か粒子かで長い間論議されたが、実は光には両方の特徴があって、実験装置によって光は二つの矛盾する素顔のどちらかを見せたまでなのである」とあります。いわゆる光の二重性といわれるものです。そして有名な物理学者のニールス・ボーア(光の二重性の発見に大きな貢献をした人です)はこの光の相反する相補性を「愛」と「正当」にたとえているのが興味深いです。曰く「純粋な愛というのはいつも正当さに欠け、純粋な正当さはいつも愛に欠ける」というのですが、このボーアの言葉を引用して「愛と正当は相反するものだが、この二つが相まみえることによってはじめて人間性が生じる」としめっくっています。(註:「正当」を「道義」と意訳すればより分かりやすいんじゃないかと思ったのですが、知人によれば法的なニュアンスがあるべきということで、「正当」と直訳しておきます)
まとめて考えますと、愛と正当を「人間性」というもので一括し、光における波動性と粒子性を両方の特徴を持った「量子」という概念でまとめ、線によって面が二分されても1/2で分子の「1」が分母の「2」の上にあり、老子の棒は「部分ではなく全体を見よ」という教訓(二つの先端→棒全体)と理解すれば、「2」はつまるところ「1」に帰結します。「2」だけではなくすべての「1」以外の数字が「1」に帰結するようです。こうなってきますと「1」というのは最も小さくて最も大きい数字であることが感じられ、いきおい「1」についての章を読まざるを得なくなるのですが、冒頭に記しましたようにとっつきにくく、難解ですので、とりあえずここで擱筆いたします。








