今回からこのコラムをひきうけることになった、
ドイツヴェレダ研究開発室の野中潤一です。
まず自己紹介から始めます。
出身は大阪府堺市。もとは音楽家でウィーン郊外にあるバーデンという街の小さな劇場オーケストラに籍を置いていましたが、26才の時に退団してウィーン大学理学部に入学し、ドイツのマインツ大学、MPI(マックス=プランク=インスティトゥート:日本の理化学研究所のような機関です)を経て1984年にヴェレダに入社しました。
ヴェレダに入社した経緯をよく聞かれるのですが、オーケストラ退団によって生活費が捻出できなくなり、いきおい学期休みに勤労学生として働かざるを得なくなったことがきっかけです。夏休み中のアルバイト先として、ドイツのグミュントという街のプレート工場を斡旋してもらったのですが、そこの工場長に「指を切り落とす可能性が高い」と言われたものですから、即刻辞退し、翌日市の労働課に抗議したあと改めて紹介してもらったのがヴェレダです。
当時のドイツヴェレダは現在の3割ぐらいの規模で、毎日昼休みに有名なクリューガーという方の(当時すでにかなりの高齢でした)、栽培園を歩きながらの「ハーブ講義」があり、興味深い話が聞けたのでよく参加していました。
印象に残っているのは、この方があるとき「ドイツ人は地下で育つジャガイモを主食とするから無味乾燥な人間になるのだ。その点日本人を含むアジアの人間は違う。向日性である米を主食としているので繊細なのだ」と話したことです。みんな神妙な顔をして聞いていましたが、小生にとっては不思議な光景でした。
また職場の居心地がとてもよかったものですから以後毎夏、奨学金をもらえるようになってアルバイトをする必要がなくなっても、ヴェレダでの夏季労働をウィーン大学修士過程まで続けていました。
マインツ大学およびMPI時代の5年間は博士論文と研究に追われ、ヴェレダとは疎遠になっていましたが、1984年に正式に入社し、「戻ってくると思っていたよ」といった感じで受け入れられ、うれしさとなつかしさがこみ上げてきたものでした。








