早いものでこのコラムを引き受けてもう一年になります。
当初はとりあえず一年だけということだったのですが、はからずも多くの方々からご批判をいただき、その大半が予想どおり「出来の悪い時と酷い時の差が大きすぎる」といった内容でしたので、これらの叱咤激励を真摯に受け止め、馬耳東風を決め込みながら駄文に一層磨きをかけたいと決意を新たにしているところです。
つまりコラムは小生の一存で続行となりますので何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
先だって小生が4週間にわたって仕事で日本に滞在していた折、小生の長男マリオ(26歳)とその女友達のニーナ(23歳)が休暇で約3週間日本各地を旅行しました。
最初の二日ほど「日本における旅行の仕方」といった手ほどきをしてやったのですが、総領の甚六を地でいくマリオとちがい、このニーナというのは典型的なドイツ娘で、屈託がなくて爽やかで好奇心のかたまりそのもの。さかんに質問を投げかけてくるのです。相手が日本人ならあいまいに答えることが可能ですが、ことドイツ人が相手となると、独断や偏見であってもとにかく端的に明解な答えを出さなければなりません。
たとえば、空港内で:「ゴミ箱がないのはなぜ?」
「テロを警戒してのことだ。アルカイダが日本に爆弾を仕掛けるといううわさだ。建物の外にゴミ箱が設置されている。」
地下鉄の中で:「着物を着ている若い女性を多く見かけるがどうして?」
「今日は週末で大安吉日。結婚式場からの帰りだからだ」
山手線の駅の構内で:「なぜスピーカーがのべつまくなしにがなりたてるの?」
「神経性慢性難聴症が多いからだ」
浅草で:「仏教では神は存在する?」
「しない」
鳥居の前で:「神道と仏教という二つの違った宗教を持っていて矛盾がないというのはなぜ?」
「それは日本人の根底に『あれもこれも』というモットーがあるからだ」などなど。
『あれもこれも』というのは本当に日本人の特徴といえるもので、和魂漢才から転じた和魂洋才もこれを裏付けています。
ということは、音大を出た後理学部に入学したり、フルートからコントラバスに転じたり、安西冬衛の一行詩に感嘆するかたわら薄田泣菫の白羊宮に惹かれたり、ドイツのピアノ漫談に爆笑もするが上方落語を聞いても大笑いする小生などは『あれもこれも』を無意識のうちに実行している典型的な日本人の一例なのでしょうか?
「日本人の皮をかぶったドイツ人」と揶揄されることがよくあるので少々考え込んでいます。








