先だって十数年ぶりにベルリンを4泊5日で訪れました。グミュントからベルリンまでは約600kmの距離でヒコーキで1時間ちょっと、クルマでおよそ6時間かかります。
家内はベルリンに行ったことがなく、いかに興味ときっかけがなかったとはいえ、この30年間、激動のあった自国の首都を見ていないことの言い訳にはなりません。で、今年の夏季休暇はベルリン⇒ドレスデン⇒ライプツィヒと旧東ドイツを巡ることにしました。
ご承知のようにドイツ国は1949年~1989年まで東西に分割され、資本主義の西ドイツの首都はボン、社会主義の東ドイツの首都はベルリンでした。そしてベルリンの街も資本主義の西ベルリンと社会主義の東ベルリンに分割され、西ベルリンは社会主義圏(東ドイツ+東ベルリン)に取り囲まれた「陸の孤島」となります。東西ドイツの国境の往来は不可能でしたが東西ベルリンの往来は自由でしたので、ベルリン経由で東ドイツから西ドイツに脱出する人が多くなり、これを阻止するため東ドイツ政府は1961年に「ベルリンの壁」を設置します。この壁を越えて亡命を図り、射殺されたり溺死した人はおよそ190人。そして壁は1989年に取り壊されます。大戦前のベルリンは人口430万人という大都市でしたが戦後は280万人に激減。最近の統計では340万人という数字が出ていますが往年の大きさには及ばないものの、ドイツ随一の大都市です。
今回、小生がベルリンで見たかったのは、主に旧東ベルリンだったところです。まずは書店に行ってベルリンの壁があった箇所が記されている地図を購入。著名なテレビ塔のあるアレクサンダー広場はにぎやかですが一種独特の雰囲気があります。そしてここから東5kmほどのところには広大な道路に沿って画一的な建物が立ち並んでいて強い印象を受けました。
またアレクサンダー広場の北西2kmのところには追悼所がある敷地に壁の一部が残されています。壁の高さは3m60cm。アメリカ人らしいグループが壁を乗り越えようとしていましたができませんでした。壁を越えての亡命はそれこそ命がけだったのです。
もう一つ必見の場所がありました。先回ベルリンに滞在した時にはまだ完成していなかったホロコースト記念碑です。
19000平方メートルの少し起伏のある広い敷地にに約2700の大きさも高さもちがう石碑が設置されていて究極のミニマリズムですが、それがかえってユダヤ人虐殺についてあらためて思案することを促しています。
そして何度となくベルリンに来ているものの、訪れる機会が全くなかった森鴎外の記念館をやっとの思いで見学することができました。
若い時に漱石より鴎外を好んで読んだ小生にとっては鴎外は別格の文豪で、その鴎外がいた空間に小生が立っていると考えると感無量でした。
…といった按配で、国会議事堂にも入らず、シュプレー川の遊覧ボートにも乗らず(家内が切望していましたが結果的にカット)、かの有名なショッピング街クーダムにも出向かず、かなり地味なベルリン滞在となりましたが、天候にも恵まれ、小生にとっては充実した5日間でした。








