リオでのオリンピックも盛況裡に終わり、日本ではまだその余韻が残っているかと思いますが、当地では日本ほど盛り上がった印象を受けませんでした。いくつか理由が挙げられますが、日本ではメダルを獲るような選手はスターで、マスコミの熱心な報道と相まって日本国民もこれらの選手に強い親近感を抱き、大きな声援を送っているからではないかと思います。とはいえドイツの女子サッカーチームが金メダルを獲ったというニュースは比較的大きく取り上げられ、オリンピックを最後に勇退するナイト監督が金メダルをもたらして自ら花道を飾ったという内容でした。
今でこそ強豪といわれるドイツの女子サッカーチームですが、女子サッカーがドイツで認められるまでにはおよそ信じられないような長い道程がありました。ヨーロッパ各国では女子サッカーはすでに1920年に最初のピークを迎えていたものの、ドイツではスポーツクラブにおいて女性がサッカーをすることは禁じられていました。スポーツ好きの女性は独自のクラブを作ってサッカーをしていたわけです。かくしてスポーツガールが流行したのですが、産婦人科医がそろって『スポーツによる女性の男性化が切迫する』ことや、『母親としての義務がおろそかになる』と警鐘を鳴らしていた時代です。
時代が下って1954年にドイツの男性サッカーチームが世界選手権で優勝したことを機として女子サッカーに関する議論が再燃するのですが、翌1955年にドイツサッカー連盟は所属する組織に対して女子サッカー禁止令を出します。つまりピッチの使用や主審、副主審が立ち会うことを許可しなかったわけです。『サッカーのようにボールを蹴っての競技においては女性の優美さが消滅してしまい、選手にとって心身ともに多大な害を被ることは不可避である。さらに体を張ることで礼儀や作法が損なわれる』というのがその理由です。そんなことには頓着せず、サッカー好きな女性は夕方になるとこっそり練習をし、クラブをつくり、2年後にオランダの代表と親善試合をミュンヘンで行うまでになります。このゲームには大勢の観衆が集まり、ドイツがオランダを2:1で下したものの男性からは冷笑を浴びるだけでした。
ようやく1970年になって禁止令が解かれ、女子サッカーもドイツサッカー連盟の傘下に収まりますが、男女同権には程遠く、スパイクについた靴が許されないだけではなく、晴天の時に限って試合が行われ、ボールも青少年向きの小さなものしか使用できず、35分x2でした。そしてそのあと1989年に初めてヨーロッパ選手権で優勝するのですが、賞金などは一切出ず、この時の褒美はコーヒーの食器セットだけだったのです。当時の選手だった一人の「私たちは優勝したこと、ただそれだけがうれしかったのです。コーヒーの食器セットをくれたのはいいけど、それだったらきれいなトレーニングスーツか腕時計の方がよっぽどよかった。」とのコメントをラジオで聞いた家内がカンカンに怒り出し、「なんたる侮辱だ。ふざけた話だ。そんなことがあったなんて信じられない」と怒り心頭でした。功績に見合った賞金が出るようになったのはしばらくたってからのことだったようです。
やがてドイツの女子サッカーチームは世界選手権に2度、ヨーロッパ選手権で8度優勝、そして2016年リオのオリンピックで金メダルを獲得するのですが、長期間の禁止令をはねかえしてここまで大きな成果を挙げているというのには敬服します。意外なのはイギリスとオーストリアのサッカー連盟も過去に女子サッカー禁止令を出していたことですが、日本ではどうだったんでしょうね?








