ドイツ文字といいますと、ふつうは第二次世界大戦までドイツで用いられていた活字書体を指し、いかにもドイツ的な感じがする書体ですが、大戦後は使われなくなりました。手元に大戦前に出版されたいくつかの書籍があり、読みづらいというよりは殆ど読めないのですが眺めているだけでなんだか『ドイツの香り』のようなものが漂ってくるような気がします(写真参照)。このドイツ文字はドイツで「Fraktur」と呼ばれており、読者の皆様もきっとどこかでご覧になったことがあると思います。


この文字の普及はルターが新約聖書をドイツ文字(Fraktur)の書体で印刷させたことだと思います。旧約聖書を別の書体(Antiqua)を用いて印刷していたローマ教会に対抗したのでしょう。そしてその後数百年にわたってドイツでは、ドイツ語のテキストはFrakturで、そしてラテン語のテキストはAntiquaで印刷するという特殊なケースとなります。18世紀後半にフランス人ナポレオンが登場して欧州征服を企てますとドイツにおけるFrakturとAntiquaの共存は不可能となります。ドイツ人たるものはFrakturで書くべきだというわけです。ナポレオン失脚後は次第にAntiquaが広まり、両書体の支持者がいがみ合いましたので、1991年5月にドイツ帝国議会で伝統的なFrakturに加えてAntiquaも第二の書体として学校で教えることが議題に上がり、Antiquaが第二の書体として認められたものの猛烈な反対に合い、半年後の10月に議員の3/4がAntiquaを拒否してしまいます。Frakturは直線的で角ばっていて「ごつごつ」していて典型的なドイツの要素があるが、Antiquaは丸みを帯びていて代々の敵(つまりフランス)の書体であるというのが、Fraktur支持者の見解でした。
そして1933年にナチスが台頭しまして、すべてのタイプライターを「ごつごつした」Frakturに変換させようとするのですが、意外なことに党首ヒトラーがFraktur支持者を「過去に戻ろうとする者ども」と罵倒します。1941年に第二次世界大戦が始まり、ヨーロッパ征服の妄想がはびこるようになってナチスはFrakturの使用を禁止してしまいます。ドイツ以外の国では誰もFrakturを読めないからです。
終戦後、旧体制を想起させるFrakturは次第に姿を消し、Antiquaが主流となりました。現在では、いくつかの新聞のタイトルにFrakturが使われていますが、本文は一般的なAntiquaとなっています。ひとつの書体が500年にわたって歴史に翻弄されるというのはまさに時代時節であると感じました。