かねてから、鑑真和上像をぜひ一度拝観したいと思っていたのですが、先だって関西出張の際、奈良の国立博物館で鑑真和上展が開催されていることを偶然知り、矢も楯もたまらず、翌日万障繰り合わせて奈良に出向きました。
昼前に会場に着き、土曜日ということで満員を覚悟していたのですが、幸運なことに入場者が驚くほど少なく、鑑真和上像の前でしばらく立ちつくすことができ、じっくりと感慨に浸ることができました。「すばらしい」の一語に尽きます。まるで生きているかのような温かさが伝わってくるのです。正面に立ってみると柔和な瞑想が、そしてしゃがんで見上げると微笑が感じ取れ、左右から見ても角度によって表情が変わります。背後から見ると肩のあたりが印象的で高邁な名僧とはいえ、とにかく人間らしさが感じられたのですが、両肩と両膝の高さが微妙に違い、禅定の印を結ぶ手は中央からほんの少しずれていることもその原因かもしれません。
小生が鑑真和上に興味を持った理由は、中学生のときに「天平の甍」を読んで大きな感銘を受けたからです。唐で高僧の名声を欲しいままにしていながら、想像を絶する幾多の艱難辛苦を乗り越えて、日本に到着したものの、無理がたたって失明してしまっていたが、日本の仏教史上に大きな足跡を残した…というあらすじは皆様もご存知でしょう。深い幸福感に包まれて会場を出たまではよかったのですが、売店コーナーで販売されていた雑誌の見出し「鑑真和上の目は見えていたのか?」という文字が目の中に飛び込んできて、おもわず「あっ!」と大声で叫んでしまいました。いままで「鑑真は日本到着時盲目だった」と確信してきた上(「続日本紀」にそう記されています)、そのような説を読んだことがなかったものですから… 即、その雑誌を購入して読みましたら、論文は奈良国立博物館教育室長の西山厚氏によるもので、「来日時の鑑真は目がみえたのであろう、目を病んでいたのは事実として完全失明は数年後と思われる」と述べられています。根拠として鑑真本人が書いた「鑑真奉請経巻状」が弟子の代筆ではなく、失明者にはおよそ書けないような筆跡だとすれば、鑑真の目が見えたと考えてもよいのでは?と読者に問いかけておられます。非常に整然とした理論の展開で、「鑑真和上の目は見えていた」という説に全く異存はありません。しかし、この奉請経巻状の中の日付が少し気になりました。三月十八日とあるのですが、当時(754年)は数字月を用いていたのでしょうか?
そんな些細なことはどうでもよろしい。すばらしい鑑真和上像に出会えた上に、「鑑真は目が見えていた」という西山氏のまさに目からウロコの明快な高説を読めたことで、近来にない充実したひとときを古都奈良で過ごすことができました。
後日、「天平の甍」を何十年ぶりかで読み直しました。十代に読んで感動した本というのは老齢になってから読み直すとなにか気恥ずかしいものがあるのですが、この本は違いました。感動が新たになったほどです。








