先月のコラムで、3という数字がよく登場しましたので、その続きで、「3」について記してみようと思います。
キリスト教では、三賢人のほか、三位一体、三大祭(クリスマス、復活祭、精霊降臨祭)と、「3」と関わりが深いです。ヒンドゥー教では創造神ブラフマン、破壊神シーヴァ、保持神ヴィシュヌの三主神があり、エジプト神話ではイシス、オシリス、ホルスが著名です。昨年10月のコラムで紹介したヘルト氏は、「3というのはすべての宗教の中心的な数である」と記していますが、仏教ではさしずめ釈迦三尊といったところでしょうか。
幾何で3といいますと、三角形ですが、点を3つ、各々が重ならないように、そして一直線上にならないように置いてそれぞれを線で結ぶと三角形ができあがります。しごく当たり前ですが、点が2つなら線が一つだけで「面」にはなりません。線が面になることによって広がりが出ます。
選択では2は二者択一です。賛否、白黒、左右、つまりあれかこれかどちらかといった決着という印象を受けます。3では三者択一となり選択に余裕が出ます。賛否に保留、白黒に色彩、左右に中道が入ってきます。
『三人寄れば文殊の知恵』という古い諺が日本にあります。ああでもない、こうでもない…と二人で実りのない議論をしているところに、第三者が入って客観的な意見を述べると、考え方に広がりができて、よい案が浮かぶことがある…という内容です。しかしこの諺を英語でいうと“Two heads are better than one.”となり、三人寄れば…ではなく二人です。ドイツ語でも“Vier Augen sehen mehr als zwei Augen(直訳:二つの眼よりも四つの眼の方がよく見える、つまり一人で見るより二人で見るほうが物事がよく見える)”で、これも三人ではなく二人です。ドイツ人は議論好きですから、三人もよれば、まとまるべき意見もバラバラになってしまう…というウラがあるのだろうと勘繰りたくなります。

しかし『三度目の正直』では、日本もドイツも同じく三度です。二度失敗しても次は大丈夫というのが同様というのが興味深いですね。ドイツにおけるこの諺の起源ですが、中世のドイツでは年に三回裁判が行われ、被告が3回召集されて出席しなかった場合、被告不在で判決が言い渡されたということに由来するようです。さすが法律の国ドイツです。日本におけるこの諺の由来はどうなのでしょう…。
あと、時(過去、現在、未来)、物質状態(固体、液体、気体)、弁証法(テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ),三原色(色では赤、黄、青、光では赤、緑、青)など、3という数字はいたるところに見られます。
最近、ごく身近(くわしく言えば台所です)に見た「3」に家内がバーゲンで購入したチーズナイフ3点セットがあります(写真参照)。左のソフトチーズ用、真ん中のハードチーズ用はわかりますが、よくわからないのが右のナイフです。非常に堅いパルメザンチーズ用らしいのですが、勝手がよくわからず使う機会も皆無です。3点セットを購入するというのは必ずしも都合のよいものではないようで、3点セットの「3」は他の「3」と違い、要注意です。