Ita Wegman
イタ・ヴェーグマン
優れた見識眼と、医療体系の変革に向けた強いビジョンの持ち主

イタ・ヴェーグマンはヴェレダのために尽力し、多くのヴェレダ特性をもたらした女性でした。並外れたエネルギーと積極性の持ち主で、特に理論を実践へと落とし込むことに類まれなる才能を発揮しました。また、財務の問題に対して活躍することも多く、資金が不足するといつも彼女が奔走して調達してきたといいます。アーレスハイムにクリニックと、ヴェレダの前身となるKlinisch-Therapeutisches Institutを設立しました。医学的側面では、彼女はルドルフ・シュタイナーに近しい仕事仲間であり、アントロポゾフィー医学の確立への情熱と、治療法や実践に対する斬新な発想は、会社の成功と発展に大きく貢献しました。
パイオニアとしての人生
イタ・ヴェーグマン(1876年~1943年)は、オランダ人一家の長女として、今のインドネシアの西ジャワの植民地に生誕しました。19世紀末に渡欧すると、セラピーとしての体操とマッサージの勉強を始めました。1902年の26歳の時に初めてルドルフ・シュタイナーに出会い、5年後には当時医学を学びたい女性を積極的に受け入れていた、チューリッヒ大学の医学校に入学しました。女性の病気を専門に学び、1911年に医師免許を取得すると、医療研究の現場に参加するようになります。1917年には自らの研究に着手し、シュタイナーのサポートのもと植物のエキスを使用した医薬品を作り出し、認められていきました。
今も現存するクリニックと治療施設の設立
1920年に彼女はアーレスハイムに土地を購入し、翌年に自身のクリニックKlinisch-Therapeutisches Institutを開業しました。この研究所には多くの医師が参加し、初のアントロポゾフィー医学センターとして数年間で着実に成果を上げることになりました。ヴェーグマンはさらに、精神障害をもつ子供たちのための療養施設ゾンネンホーフをアーレスハイムに設立。そしてこの頃には、ルドルフ・シュタイナーとオスカー・シュミーデルらとともにアントロポゾフィー医学の原則を確立し、ヴェレダ社を共同設立するに到ります。
1923年ごろ、ルドルフ・シュタイナーの要請でヴェーグマンはスイス・ドルナッハのゲーテアヌムで新たに改編されたアントロポゾフィー協会の役員会のメンバーになりました。ヴェーグマンはさらに、ゲーテアヌムの研究センターの医療部門のディレクターにも就任しました。