先月のコラムでは柱状節理について記しましたので、今回は暴挙旅行記の続編としまして神話、伝説を取り上げてみます。
天照大神は日本神話における高天原の主神で太陽神。弟の須佐之男命の乱暴ぶりに激怒して天岩戸にこもってしまったため、世界は闇に包まれ、困った八百万の神々が天安河原に集まり、岩戸の前で宴を催し、騒ぎが気になった天照大神が岩戸を少し開けた瞬間、怪力自慢の手力雄命が岩戸を開けて天照大神を誘い出したので世界に光が戻ったという神話は皆さまもよくご存じだと思います。高千穂に天安河原があると聞いていましたので、天岩戸神社からスタートしてゆっくりと川沿いに歩き始め、15分ほどで天安河原に着きました。

天岩戸神社

太鼓橋
天安河原は大きな洞窟といった感じで、洞窟の一番奥には小さな社があり、洞窟の内外には小石を積み重ねたものが多数見られましたが、こうするこでと願いが叶うらしいです。
しばし洞窟内からの景観を眺めていましたが、たしかに神聖な雰囲気は十分感じ取ることができました。
もうひとつは徳島県の祖谷峡です。1185年、壇ノ浦での源平最後の合戦で平氏は源氏に敗れて滅亡したのですが、平氏の落人が祖谷に逃れたという伝説が伝わっているというのです。勝者の源頼朝は厳しい残党狩りを行いましたので、落人は険しい山間部に潜伏し、かずら橋というシラクチカズラを網み連らねた橋をつくり、源氏の追ってから逃れるために切り落とせるようにしたという説があります。

祖谷かずら橋

かずら橋は3つ現存し、上の写真は一番大きい祖谷かずら橋です。長さ45m水面上14m。橋床は「さな木」と呼ばれる木材で、さな木とさな木はかなり開いていて川面がよく見えるのはいいのですが靴が挟まってしまう可能性があり、吊り橋ですので揺れることもあってか、途中で動けなくなった中高年の女性が少なからずおいででした。しかし橋から見る祖谷渓谷は見ごたえがありました。

奥祖谷二重かずら橋男橋

女橋
そしてこの祖谷かずら橋から30km離れたところに奥祖谷二重かずら橋があり、男橋は長さ42m水面上12m、女橋は長さ22m水面上4mで、どちらも祖谷かずら橋に比べて繊細というか歩きにくいというか、特に女橋は水面上4mでしたが、さな木とさな木の間隔かなり不揃いで歩行要注意の吊り橋でした。とはいえ不便なところにありますので観光客が少なく、男橋から女橋を通って遊歩道を一周し、川辺でせせらぎを聞きながら晩秋の渓谷の美しさと静けさを堪能できたのは幸いでした。(2024年1月)









