最終コラム

20年間コラムを書き続けてついに最終回を迎えました。3月号を最終回に選んだのは、日本人的な感覚でいうと「卒業」というイメージがあるからです。テーマを何にしようか考えましたが、最後ということで小生の略歴を記すことにしました。

まえがき
小学校3~4年生の頃、少年雑誌で「あるアメリカ人夫婦がハイウェイでをクルマで走行中、トンネルのようなものが急に眼前に出現し、暗黒の世界に突入してブレーキを踏んだが気を失ってしまった。しばらくして目をさますと、当たり一面が砂漠で見たこともない光景が広がっていた」といった内容の話が紹介されていて、あり得ることだと感じていました。そして小学校5~6年生の頃に少年雑誌のマンガで「人間の生と死に関してはその時と場所はすでに確定していて抗うことはできないが、生と死の間は自由で、たとえば札幌で生まれて鹿児島で死ぬとすれば辿る道は幾通りもあり、途中どこをどう通るかは自由」とあるのを読んで、漠然と海外を思い浮かべていました。この二つの読み物が晩年の関心事となる「時空」の起点であったように思えます。

略歴
5才~12才:無口時代。幼稚園から小学生時代は無口で引っ込み思案。「ハイウェイから砂漠」の話も「生と死の間の自由」も誰にも話さず黙していて、可愛げのないつまらない子供の典型。
13才~25才:音楽没頭時代。人前に出ることで口数は少しづつ増え始める。中学はコーラス部、高校はブラスバンド部、16才でフルートに出会い音大⇒ウィーン留学⇒劇場オーケストラ在籍。
26才~37才:化学没頭時代。180度方向転換でウィーン大学入学。理学部(分析化学)⇒ドイツに移住、大学院(宇宙化学)⇒ドイツ理化研の研究員。
38才~65才:自然科学模索時代。ドイツ・ヴェレダ入社。興味の対象を宇宙から地球に移す。自然を多角的に考察しようと思い始める⇒ヴェレダ社での任務は製品の研究開発で、実験に基づく数多くのデータの分析を行う傍ら、革新的な「閃き」をひたすら待つ根気と忍耐を養おうとする。

あとがき
ヴェレダを定年退職したあと、フリーランスとしてセミナーやワークショップを主にドイツと日本で行っておりました。フリーですので気が向いたときに気に入った依頼に応じるという境遇を享受し、読書サークルに参加したり、ピアノを弾いたり、ジムに通ったりと、いろんなことをしていましたが、コロナの勃発で事情は一変。蟄居生活を余儀なくされ、娯楽本位の大衆文芸から難解な相対性理論の入門書まで、いろんなジャンルの書籍を斜め読みしておりました。やっとのことでコロナが収束しましたので外に出て鈍った五感に刺激を与えるべく、先般3週間にわたる日本旅行を強行しましたが老体に思った以上の負担がかかりました。今後は身の程をわきまえて穏やかに前進する所存です。
以上です。

読者の皆様方のご健勝とご多幸を願いながら擱筆いたします。長い間どうも有難うございました。

2024年3月                                           野中潤一

2023年11月 小豆島寒霞渓にて