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コービニアンのリンゴ (Korbiniansapfel)

先だって聞き流していたラジオからコービニアンという聞いたことのないリンゴの名前が耳に入り、ドイツ名(コービニアンは男性のファーストネームです)がついたリンゴというのは珍しいなと思い、続けて聞いてましたらこの名前の背景には興味深い歴史があることがわかりましたので、以下に紹介いたします。

このリンゴは『リンゴ神父』と呼ばれたコービニアン アイグナー(Korbinian Aigner 1885~1966)に由来します。彼はバイエルン州のホーエンベルヒャ村にある自分の教区でナチスに抵抗する数々の言動で当局に睨まれ、逮捕されて悪名高い強制収容所に送られてしまいます。そこへある修道院付属学校の生徒が彼のためにリンゴの種をこっそり持ち込み、果樹の栽培に情熱を注いでいたコービニアン神父が強制収容所内にひそかに種を蒔いたのですが驚いたことに4つの苗木が育ちます(この経緯には諸説があります)。彼はこれらの苗木にKZ1~KZ4という番号を付けました(注:KZとは強制収容所の略です)。終戦間近になってナチスは強制収容所の囚人に南チロルへの「死の行進」をさせますが、途中彼は逃亡して僧院に身を隠し、終戦後にリンゴの穂木をズボンのポケットに詰め込んで、かっての自分の教区にもどり、長く神父として仕えました。またリンゴの研究にも精を出し、入手可能なリンゴを調達してそれらの2個づつを葉書大に描いて膨大な資料を作り上げ、900枚あまりのリンゴとナシの絵はミュンヘン工大の資料室に保管されています。これらの功績によりバイエルン州から勲章を授与され、彼の死後ですが生誕100周年を祝ってKZ3のリンゴが正式に「コービニアンのリンゴ」と命名されたのです。これによって彼の名前は後世に残ることになりました。コービニアン神父は1961年に81歳で亡くなりましたが、強制収容所の囚人用上着を着て果樹園で働く彼を見た人たちがいたようで、この上着と共に埋葬されたということです。彼は強制収容所のことを決して話しませんでしたが、決して忘れたのではないことがわかります。

以上『リンゴ神父』の略歴を記しましたが、かように歴史的に「重い」リンゴは一体どういう味がするのか知りたくなりました。しかしこのリンゴを購入する方法がなく(もちろんスーパーには売ってません)、若木なら購入方法があるということで、隣村にある行きつけの園芸業者に発注することにしました。収穫は数年後になりますが、待つだけの価値はあります。

リンゴだけではなくもう一つ小生の関心を惹くことがあります。上に記しましたいろんな種類のリンゴ2個づつを葉書大に描いた絵のうち約400枚が、第13回ドクメンタ(2012年開催)に出展されていたという事実です。ドクメンタはドイツ中部にあるカッセルという街で5年毎に催される世界的に有名な超現代美術展で小生はずいぶん前から毎回訪れています。第13回のドクメンタも確かに見に行き、印象を受けた出展作品についてコラム(第100号)を書いているのですが、コービニアン神父のリンゴの水彩画は見落としていました。家内はこのリンゴの絵を見ていたのですが、そのような重要な絵だったとは小生に言われるまで知らなかったとのことで、夫婦そろって大いに後悔しております。彼の絵については、「官能拒否の教会に対する批判が見て取れる」、「セザンヌのリンゴの絵との比較」、「2012年のドクメンタでコンセプト・アートとして展示された」などといろんな評価や報告がなされていますが、本人が生きていたら、首を横に振りながら『君たち、どうかしてるんじゃないのか』と言っただろうという推測は大いに納得できます。また教会の上司からは「彼は神学者(Theologe)というよりは果樹学者(Pomologe)だ」と非難されたということも、いいかえれば彼が一流の果樹学者として認められていたということでしょう。

12月に入り、クリスマス市が開かれる時期ですがコロナの影響で軒並み中止になっています。アドヴェントには親類、友人などと一緒に楽しいひと時を過ごすのが楽しみなのですがこれも自粛を要請され、味気ない師走となりそうです。せめて雰囲気だけでも・・・と家内が食卓にアドヴェントらしいアレンジを施しました。なお蛇足ながらリンゴは「コービニアンのリンゴ」ではなく拙宅の庭のリンゴで種類は不明ですが美味です。